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あふれる言葉を。Vol3

数年前ってどうやって私は暗いドイツで一人で生き抜いたのであろう。
このブログをさかのぼればそれもきっときちんと記録されているけども、
そうはいっても今おんなじことをして、それでうまく耐えられるかというと
それは別問題になってしまう。
あの頃より、私は混乱していなくて、自分を嫌いになってなくて
ずっとずっと強い自分なのに、ふと居たたまれなく落ちることもある。

心は成長しても、やはりふかふかと柔らかくて、傷つきやすいものなのだろうと、
ふと心の奥にしまっておいた繊細な部部を持ち出して、再度味わってみたりする。
そんな私の感傷的な日々である。


今日二十歳のエチオピアの子とたまたま話す機会があって、私の若い頃もこんなんだったかな
とふと振り返ってしまった。
彼女はドイツが始めての外国で、なにもかも新鮮で、なによりも自分は二十歳だから、
と話の、滞在の理由にその言葉を一番初めについつい持ってきたがった。
もちろん若い頃の経験は何よりの宝になるけれど、
いつも何に関しても考え込む癖のある私には彼女は眩しく見えて
うらやましかった。
人間的にも恋愛もすべてがこれからの彼女は
私のやり残したであろう人生も一緒にこれから楽しんでくれるかもしれない。

逆に仕事で年配の女の方とも今日話す機会があって、
彼女に、まだあなたは若いからと連呼される。
彼女にとって私もまた眩しい存在なのだろうか?
二十歳のそれとは違っても、現時点の私の人生なんて彼女の半分たりない位だし、
きっと彼女の見えている、私の見えない人生も存在しているんだろう。

時々思うのは
私の人生、はいこれだけの長さだよ、これだけをこの年齢までにこなせばOKだよ
っと誰かがささやいてくれたらどうなんだろうっと。
こんなに毎日悩んでも明日には私の人生は消えてしまうかもしれないし、
実は今日この時になにかを取り逃しているかもしれないのに
誰もそんなことは教えてくれない。


それが私達、生命あるものの

存在条件として課された

運命なのだな。
by inei-reisan | 2013-10-05 04:05 | ミュンヘン日常 | Comments(0)

自分が住む国を選ぶ権利はあるが、国が私たちを選ぶ権利はない

by inei-reisan
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