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どようび


こうやって週末にゆっくり掃除をしてご飯を作っていると
なんだか感傷的になる。
なんだろ??


今日妹と話してて、兄弟姉妹との距離感について考える。
私は妹とふたり姉妹で
毎週のようにメールかチャットかなんかしら連絡を取っている。
連絡と取るということは
双方が声を聞きたい、話したいという気持ちがあって成立するもので、
お互いに連絡をとれるのは私には(きっと妹にも)嬉しいことなのだけども、
こんな関係も以前には全くなくて

前は年に一回メールか、家族ごとで会うかしかなかった。
お互いの波長が合わなかったというか、
感情のうまがあわなかったというか
でもそういう関係は結構どこにでもあって、
だから今こんなに仲がいいのは不思議なものだ。




家族の繋がりを表情に大事にするラテン系の国柄の人たちは(イタリア、フランス、スペインなんかいやもっとその他の国もいっぱい)
週に一回は家族とは電話やらあったりしてるみたいだ。

だから家族ごとのクリスマスなんかに、私が一人で部屋にいると
なんとなく気遣ってくれる彼ら達はすごいと
感心したものだ。


かといって、どこまでも必要ない連絡をされるのは、
非常に困りものなのだけども。


小さいときに本でも、アニメでも、ドラマでもみた
マッチ売りの少女を今でもなぜか私は思い出す。

どこかの舞台でみたこのお話。
それが頭の片隅に残っていて。

Erzähltextanalyse des Märchens "Das kleine Mädchen mit den Schwefelhölzern" von Hans Christian Andersen

Inga Baumhoer / GRIN Verlag




とくに最近は移民が増えて、道端で物乞いをする人が非常に増えたので
それが影響してるかもしれない。

アンデルセンのお話は、賛否両論あるけど、幼い私の心になぜか
残り続けている。
by inei-reisan | 2016-06-12 04:42 | ミュンヘン日常 | Comments(0)

自分が住む国を選ぶ権利はあるが、国が私たちを選ぶ権利はない

by inei-reisan
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