カテゴリ:つながり( 36 )

昨日の私はすごくつかれて、すごく寝た。
オランダから9時間以上の電車での長旅をして、雨風びゅうびゅうの中フランスの田舎に到着。
2年半ぶりに日本人の友達が住んでいる田舎を訪問だ。

着いた途端1歳半に大きくなった彼女の子供がお出迎え。
パタパタとぎこちない足取りで歩いてきて、でっかい目で私に笑いかけた。
私が話すとあやふやな感情だったのに、フランス語を話せばしっかり返事をしてくる
あたりがもうめちゃくちゃかわいい。

こんな彼女との友情もかれこれ15年以上のつながりともなろうか。



私の中で流れる時間は、どうやら思ったより長い。
そしてこれからもよっぽどのことがないかぎり流れてゆく。
それはあっという間に流れて捨てられていくものではなくて、
人とものと場所と会うたびに深く長く最近はなってゆく。
昔はそれらはぶつ切りで、つぎはぎだらけだったのに
いつから変化したのか、今では思い出せない。

これからは瞬く間に一年がたってしまったと思わずに
その長い時間がまた深く長く伸びたと思うことにしよう。


ps. また遠くからだけど、お誕生日おめでとう。





[PR]
by inei-reisan | 2017-02-28 15:07 | つながり | Trackback | Comments(0)

1対1



後1日で誕生日というところで彼女の歌を聞いてしまって。



私を生む前の日のあの彼女の気持ちはどうだったんだろうと
ふと考えてしまう。
彼女のお腹の中でくるくると回っている私は、
彼女の言葉だけをきっと無意識の中で聞いて眠っていて、
いつお腹の中から出て行こうかっと気まぐれに考えていて。
そんなとき彼女は大きなお腹をさする。
大きな丸いお腹に話しかけて、そろそろでてこーいと小声でささやかれて。

私と彼女はいつだって一対一でいて。
やっとお腹から出てきて初めて見た彼女の顔も、
小さくて覚えてないたくさんの出来事もきっと
一対一でずっといた。
今ではもう会えない人になってしまっても。
でもこれからもきっと一対一で心の中で彼女に話しかけてしまうんだろう。


このタイミングでこんな事を思ってしまったのは、
仲の良い友達に子供が無事産まれたから。
彼女とたくさん話して時間を過ごしてきて、
子供を産む側の気持ちが少し分かってきて。

また彼女の事を私は想う。

お母さん、私を産んでくれて、

ほんとありがとう。










[PR]
by inei-reisan | 2017-02-20 04:54 | つながり | Trackback | Comments(0)

10月も後半です

今週はやっとできた友達を家に招待してご飯を食べたり。


日本人は今の所一人しかこの街で出会ってないけども、
それにしてもここらで会う日本人はいつも日本人じゃなくて、
もう欧米化している人ばかりだ。

私たちの一番の問題は日本がしっかり話せなくなっていることなのだけども、(危険、笑)
それでも他の言葉で話すよりはやはり母国語を話す方が心地よい。
しかし話す内容は戦争のころの話に飛んでいったりもするので、やはり日本人同士の会話なのかなあという気もする。
よくよく考えれば、私の祖父も戦争を体験した人たちだけども、
それでもその当時のことを話したがらなかった気がする。
私の戦争の記憶は、教科書か、映画の中か、原爆博物館か、他人からの媒体が多いから、
なんで祖父母から直接聞くことがなかったのかなっと。
いま90まで生きている父方のおばあちゃんはもうボケちゃってるから
お話を聞くのは少しむずかしい。
もう少しはやく戦争の時のことを聞いとけばよかったなあ。


さ、今夜訪れるのはコロンビアとペルー人。
どんな話の展開になるのかな。




[PR]
by inei-reisan | 2016-10-23 19:04 | つながり | Trackback | Comments(0)

頑張っている人へ

よく聞く話で、
人の立っている目の前に道はいつも広がっていて、
ただ前に進むか泊まるか、後ろを振り返るかは
自分次第だという。

e0211739_4165831.jpg


ただどの人にも進む道は用意されているのに、
それに気がつかずにしっかり足をつけて歩く人は
結構少なくて、気がつかずにするすると進んで行っている人が
ほとんどだということもよく思う。

ただ進む道もいろいろあって、時には進んでいても途中で切れていたり、
ぐるぐると一周してしまったり
失敗もたくさんすると、その失敗が実は前提であると
それにも気がつかなければならない。

e0211739_437585.jpg


人によって進み出すタイミングも、力強さも、
思い切りのよさも変わってくるんだろうけども、
泣いても怒ってもいいから、その道から逃げ出さない。
それも大事だと思う。


私はこれからもたくさんの変な道を歩いていくんだろう。
人よりもたくさん苦労をして、嘆くかもしれない。
でもそれをやりきった全てが、自分の自信と力になると知っているから、
人間には希望がやはり有る。

有希

e0211739_440388.jpg

[PR]
by inei-reisan | 2016-05-29 04:32 | つながり | Trackback | Comments(0)

つながるもの



e0211739_18283812.jpg


覗いているのは広大なエジプトの首都カイロの街並み。
そこから眺める風景は、屋上に(多分貧しくて)住んでいる人たちの
街並みでもある。もうあれから5、6年たったか。
エジプトはあれからすっかり観光客が遠のいてしまったと聞いて
寂しくなる。

これだけ国を転々としていると、友人も国をまたいで
会うことになり、会えない時間も距離も長くなる。
当時は非常に不便だった、世の中もインターネットの普及で次第に便利になり
飛行機も値段が落ちて次第に距離も行き来しやすくなり。
幸運なことなのだ。

ちいさいときから、家族だけが唯一変わらずつながるものだと
言われてきたけども、
私のいままでの過ごしてきた時間をみてみたら、
そんな大事な人たちもこれからも大事にしたい。
その思いはいつまでも変わらないでいよう。


e0211739_18371478.jpg


それが私が自分で積み上げた財産の一つだから。
[PR]
by inei-reisan | 2016-03-12 18:38 | つながり | Trackback | Comments(2)

諦めるために

あることを諦めるために、

ここしばらくいろんなことを試しているのだけども、
ちっともどれも功をなさない。

私は、根っからしつこい性格なのかもしれない。

この諦めの悪さが、自分をくるしめているというのに、


e0211739_6533384.jpg


一層、救われない。

ただし、
[PR]
by inei-reisan | 2015-12-09 06:55 | つながり | Trackback | Comments(0)

完全に忘れられた人

寂しがりやのわたしは、人に忘れられることが怖い。
忘れられるといっても、本当に思い出さすこともなく忘れるわけではなくて、
その親しかったはずの人が、遠くに行ってしまったりして
忙しくなって、連絡がぶつぶつと切れていってしまうのが
たまらないのだ。

仲がよかったと思ってたあの人から連絡がこない。
メッセージを送っても返事もかえってこなくて、
わかり合ってたと思ってた私の自信は、またがたがたと崩れ落ちてゆく。
いそがしいんだ、充実している生活なんだといい聞かせても
いつまでも人がわからなくなる。どこまでも、人を信じることができない。



そして今日スカイプを開けてみて、プロフィールの横の金額になぜかびっくりマークがつく。
なんだろうっと思って、クリックしてみると、
振り込んでたお金が長期使用してなく、
期限切れになるという合図。
こんな合図久しくもらってなかったなぁとおもってたら、
そういえばスカイプは母親と話すときくらいしか、
現金をいれて使用してなかった(あのときは、実家やら病院やらよく固定電話にかけてた)
のを思い出した。
そうか、もうこのスカイプから普通の電話をかけなくて、そんなに時間が経ってしまったのか。

人に忘れられるのが、怖いいやだといってる自分が、
他界した母親をこういう形でまた実感するなんて、
ほんと、自分はなさけないよなぁ。


そう、

気がつくと私はいたらないところばかり。

最近の私は、

自信がなくて、くよくよしてる。


もう、いやになる。。
[PR]
by inei-reisan | 2015-09-03 04:45 | つながり | Trackback | Comments(0)

人とつきあうということ


ひととつきあうということはどういうことか
考える。

そもそもこっちのヨーロッパのひとは
つきあうという儀式があるようでない。
いざカップルになっても、なんの約束をしたわけでもなく、
一緒にいる時間を楽しむのが、目的でどんどん親密になってゆけば、一緒に住んじゃう時も、
子供をつくるときもあるし、そのまま歳をとってしまうこともある。
とくに結婚しないで子供をつくるひとが増えているこのご時世、
なにを持って家族とするか、友達とするかあやふやなのではある。

ただ、だからこそ一緒にいることをすごく慎重に進めないと、あっというまに二人の関係は
薄れてしまうし、あっというまに友達みたいな関係になってしまう。

あ、ちなみに、こっちの友達は深い。
家族みたいに体の心配や、仕事、精神的な問題や、
あって一緒にいて楽しいから、余計なイベントもいらない。
友達と散歩すれば、それで楽しかったと思える関係なのである。
喧嘩もするし、それでしばらく距離を置くこともある。
でもつながる友達は、また一緒にあって、笑いあう。

それで話を戻すと、つきあうという儀式は
アジアの方ではとくに強い意味合いを持つ。
一緒にいると、二人で決めて、皆にも付き合っていると公言したり、
付き合ってるから、男友達も夜遅くまで遊ぶのはタブーだとか、
いろいろ見えないわだかまりもある。

決してわたしはつきあうという言葉に否定的ではないし、むしろ好意的な印象を持っている。
それは、ここに住んでいろいろな恋愛感を持っているひとにであって、
ちょっと疲れてきているというか。
とくにフランスとかに住んでいると、結婚してもばしばしの不倫文化だし、恋愛至上主義だし、
それもそれで素敵だし、人間くさくて魅力的なのだけども、
私個人的には一つの種を大事にまた一から育てたい気質なのだ、きっと。

また種を蒔いて、大事に育ててゆけたら

それがいい。


e0211739_17445767.jpg

[PR]
by inei-reisan | 2015-07-18 17:45 | つながり | Trackback | Comments(0)

月の下で愛しあった、ジャマイカ人だった。

わたしより3歳も上の彼は、あの歳でもう子供もいて、
子供のお母さんとも、何かと揉めて大変そうだった。
ただでさえ癇癪持ちな彼は、家族からの電話がnyから届くたびに不機嫌になり、
古びた木造アパートの中に置かれた机の上のPCに向かって
マイク越しに英語禁句用語を繰り返し発声していた。

わたしはといえば、好きになった人が外人だというだけで、しかもあんな素敵な
肌の黒い背の高い彼だというだけで、もうもう得意げで、
なにをするにも一生懸命尽くして尽くして尽くした。

彼は実はそれに気がついていたのだけども、
それでも多少ならずは正直に、真面目にわたしと向き会おうとしてた。
なにをするにも不安な、その頃のお嬢ちゃんの私は
ただ深夜建築バイトが終わると、最終電車に乗り換えて
木造アパートに向かって行く。
そこで過ごす、深夜12時ごろから私が寝付くまでの1、2時間が
二人の時間だった。

二人の生活はバラバラで、言葉もほぼ半分も初めは伝わらず、
しかも世間でいう禁断の関係に指定されていた私たちは
なにを拠り所に二人の関係を確かめていいかわからなかった。
毎日模型と図面に向かい合い、その後英会話を学び、

ただ深夜2時間ほどの時間を一緒に過ごし、
体の相性も良くなかったので、自然とそういうこともなくなっていった。
ただ馴れ合いとして二人の関係が存在していた。

それで不安を超えて私の方からついに、
愛してる
という言葉を吐き出してしまったのだった。

これを聞いた彼の顔は、一瞬で驚いた。
お前は愛が何かも知らないじゃないか。
なのに、どうしてそんな言葉を使うんだ。
といって私に速攻きれて、そのまま別れようとした。

私は愛なんて言葉の意味はもちろんわかってなかった。
知るほどの与えられる経験も、
自分が愛を与える経験もなかった。
(親の愛は別として、ただ当時の自分には親の愛も良くわかってやいやしない)

ただ、あちこちで使われている恋愛ドラマや、小説なんかと同じように
その言葉を私も使っていいんじゃないかと
勘違いしてただけだった。(いや日本人同士なら使っていた、使ってOKだった)

その言葉を、アメリカしかもブルックリン育ちの、
しかも訳あり家族や、訳あり子供がなぜかいる
彼に使うには、
ちゃんちゃら可笑しい限りだっただろう。

彼の言い分はもっともだったのだ。私はもう日本に住んでいるわけではなかったのだ。

ただ彼を怒らせ、関係も切られた私は、一気にパニックになった。
20過ぎの娘が、消化できる状態ではないのは、わかっていたが、なんとか
回復しようとつたない英語で果敢にもいどみ、真剣に謝った。

愛という言葉を使ったのは、不安定な状態に不安を持ち続けていたからだ。
言葉にたやすくだす代物ではないのを知らなかったのだ。
私は無知な、日本娘だから許してくれと、
説得し続けた。

朝までの説得が続き、のちに彼は首を縦に一回振ったと思う。そのへんのことは良く覚えていない。


それからの関係はなんとなく、よそよそしく、
さまざまな負のことが繰り返された。
外部からのちから、人種差別、リストラ、
ビザの有効期限、お金問題。

でも二人の会話は絶えることはなく、
二人の好きな深夜の自転車乗りも続けていた。

ただ私の口から、あの言葉だけは、決して出さないよう注意していた。
物事の積み重ねが、いつかそんな言える状態をつくり出せるのだと
信じるしかなかった。


やがてその関係を壊したのは、

結局は若かった私で、違う男に興味が湧いた。
他の人に興味が湧いたことに、自分で驚いた。
驚いたことを、そのまま彼に報告したら、つまりそれはもう私の中で決まっていることなのだろう
彼は答える。
私の心が動いた時点で、私の居場所は彼の中にはないように見えた。

それから何回か話し合いをした。
時には友達にも間に入って、説得もしてもらった。
そして、私たちは別れたのだけど、その後も彼とは友達として、私たちの関係は10年以上も続くことになる。

旅から帰ってくると 男の結婚願望
この時に彼はいう。10年経って、当時私のことを愛しているとわかったと。
ただそれに気がついたのが遅過ぎたのだと。
9年後

ただ、人生で初めてその時に
愛という言葉のとんでもなさに
私は気がつき始めた。
[PR]
by inei-reisan | 2015-07-12 08:13 | つながり | Trackback | Comments(0)

私が小さいとき、
地元の原発はできたばかりでよくテレビでもCMが流れてた。
ウタイ文句は、
今一番安全で、
日本の電力を補ってゆく最新の電力。

そうやって子供達がヘルメットをかぶって、中の機械の様子を興味津々に
見学していくCM。

それが毎日のように流れていて、
それを見た私は日本の進歩の中で生まれ育っているんだな、っと実感してた。

福井地裁はなぜ高浜原発を止めたのか(地震の話を中心に)


ただこの記事を読んだとき、あのピカピカ輝いていた原発が、あれからあのままで
30年もいるのかと思うと、メンテナンスはしても、進歩はどこにいってしまったのだろう。


それと同じことが、もう一つあって、学生の時に流れていたのが、昭和電工などの技術系のCM。
これも日本の進歩のなかで皆に広まっていく、
日本はどんどんと進んでいく世界なのだっと
実感したものだった。


最近日本のテレビをよく見るようになった私は、
この関連のCMを全く見なくなった。

よくいう日本の経済の停滞ってやつの影響なのだろうか、私にはわからない。


私はドイツに住んでいるから、地震があったときここに住んでいて、
そんな時こそ自分の国というものに
国という実感が湧いた。





[PR]
by inei-reisan | 2015-04-26 15:22 | つながり | Trackback | Comments(0)

自分が住む国を選ぶ権利はあるが、国が私たちを選ぶ権利はない
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30