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paris 久しぶりの美術館

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ミュンヘンに帰ったら急に寒くなってしまった。
いそいであちこちから冬服を取り出して、
ぐるぐると巻きつけてやり過ごす。


パリにいって、ひさしぶりに美術館に行こうと思った。
いろいろ迷ったけど、今回はオルセーへお邪魔する。
さすが夏休みで、監視員はほとんど学生バイトか移民だらけ。
いくら一つの絵でじっと近づいていっても、ちっとも警戒されることはなく、
むしろ見きれてなかった絵を監視員自ら眺めていたり、
ちょっとのんびりした空気が流れていて。

今回はアールヌーボの展示に、個人的にテンションがあがったのだけども、
4時間いても、全部は見きれず、閉館で外へと追い出される。

でもふと気がついたのは、例の写生している学生がここにはいない。
やはり都会すぎるから、そういうことも禁止なのかな。

そう、アールヌーボ。
ギマールの家具も、ミュシャの壁画もすべて知っているつもりだったのに、
いざ現物が目の前にあると、うっとりと見とれてしまう。
かの有名な画家さんのエリアは人がいっぱい溢れていて、ゆっくり見ることもさせてくれないのに、
家具のエリアは人が少なく、ゆっくり妄想の世界にいける。笑

あとロートレックの絵は、すごかったな。大きい絵も、ただの写生画も
人間がうねうねして、活気に溢れている。
どこの絵をみても、パリの雰囲気が漂っていて、
すべてに人間のストーリーが組み込めれているのも迫力がある。

この街がこういう風景を描くぐらいにどこもかしこも騒がしいからか。
ただ、それもパリの街の魅力の一部となっているんだろう。

さて、
美術館からの帰り道。それは黒い曇り空で、
歩いてチュルリー公園を横切るころには、
ぽつぽつの雨が、ボツボツに切り替わり、
冗談では済まない状況に突如切り替わる。
傘ももってなかった私を含めて、通行人たちは走り出し、
なんとか葉が茂った公園の木の下で雨宿り。

そうはいってもものすごい雨の量で皆ずぶ濡れ、
みんな着ている服はベタベタで、なんとも悲惨な状況に。
私の雨宿りをした木の下には、田舎から来たらしいフランス人の中年の女友達同士が先行で
乗り込んでいて、飛び込んだ私にすこし場所を譲ってくれる。
いく間もなく、イタリア人の家族が加わり、移民系の輩が到着し、
英語を話す中年夫婦も参加。
なんとも賑やかな一本の木の下。

ほら、こうやっていつでもどこでも、この街は
ストーリーが一瞬にして始まっている。

だからね。


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by inei-reisan | 2015-08-21 05:28 | travel? | Trackback | Comments(1)

paris

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先週末パリへ里帰り。リヨンも私の里だけど、パリは今でも私の街。
10年前より、もっと治安が悪くなって。
もっと地下鉄は臭くなって、ビザも降りにくくなっ
てるけども、
それでも私はフランスという国に恋をしたのだから、
その事実は変えられない。


今回はパリ時代の友達が妊娠して、そのお見舞いも兼ねて
チケットをとった。
よく考えたら、こうやって1年に一回はどこかでフランスに
飛んでいる。

今回泊まった彼女のお家はパリの墓地の真ん前のロケーションだったから、
私たちは天気がいい日に、散歩に繰り出した。
彼女の大きなお腹を気にして、ゆっくりと一歩ずつ、
石畳を歩いて行き、有名な画家さんだとか、ミュージシャンとか
見て回る。

夕日に映えた墓石はどれも古くて、大きくて、
ドイツの緑の中にある墓石とは大違い。
それにここみたいに墓地の中でマラソンしている人も見当たらない。

それでも、広大な墓地の敷地はパリジャンの散歩コースになっているらしく、
ベンチでゆっくり休んでいる人がたくさんいた。
もちろん観光客もたくさん。

そして、ふとリヨンのフルビエールの丘の上のお墓を
私は思い出す。

2007-06-02 14:16:59
丘の上の散歩 -Cimetiere de Loyasse-
テーマ:a Lyon

リヨンの街を一望できる丘にリヨン市民の墓地がひろがっていた。

歩いている人はひとっこ一人いなくて、天気もなんだか泣き出しそうでコクトーの詩がぴったりくる場所。丘から見下ろす死人達。「ベルリンの天使」のような守護神がいるかのような。

こういう場所では天使もなんだか力強いし、イエスも道案内人だし、墓石に飾っている写真はなんとなくまぬけだし。。

でもなんとなくフランスらしい風景。

パリのように有名な作家の墓でもないかと探してみたけど、いまいち区別がつかない。。しかも古い物はツタに覆われているし、時には雷にあったのか粉々に砕けているのもあった。
刻まれている文字だけでその人の人生を知る。
この時代で長生きしたんだなあとか、金持ちの家の墓だから墓参りはいつも全員集合参列なのかしら?とかなんとか。。(笑)
にほんのお墓と違ってなんとなくセメタリーはなぜか怖い感じがしないんだな。。


この入
り口の門がしまってしまったら、私は今晩どの墓石と一緒に眠ろうか?

心臓の由々しさ



泉の水は流れる、犬の口のように由々しく。

ばらには僕も驚かされる、何しろにっこりともしないので。

樹々は立ったまま眠る。
冗談なぞ言わない。

例えば彼は自分の影に命令する。

『横になれ、休息しろ、今夜また出発だ』

晩に、影はまた枝に登る、そして彼らは出発する。


恋する者は壁に書く。


自分の心臓を見たら、僕はもうあなたに微笑みかける事は出来まい。

彼はこの無月の番に働き過ぎる。

あなたの上に寝て、僕は凶報をもたらす彼の駆け足を待ち伏せる。



「詩集」-Gravite du coeur- (par Jean Cocteau) 訳:堀口大學
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by inei-reisan | 2015-08-19 06:10 | travel? | Trackback | Comments(0)

続いている日常

久しぶりになにか文章を書きたくなった。
人が書いた文章をみて、それがあまりにも素敵で触発されたのかもしれない。
映画も、音楽も、絵も好きだけど、文章もやはり私は好き。

はやいものであと1週間で妹に子供が生まれる。
我が家にとって初めての孫になるわけで、甥っ子(男の子だ)になるわけで、
毎日みんながそわそわしてる。
ベビーカーや(そんなものを発音する妹を以前は想像すらできなかったが)
おむつやら、毎日用意でてんやわんやだ。

ただ妹も私も頭の隅にだいちゃんのことがあって離れない。

だいちゃんは、私たちの弟で、生まれてきてすぐに死んでしまった子だった。
男がほしかった我が家では(医者家族だとそういうのが大事である)、
それは待望にしていた子で、母親も心待ちにしていた子だった。
ただ大きくなる母親のお腹とは逆に母の顔色がどんどん悪くなっていったし、
最後2、3ヶ月は緊急入院してばかりで、はっきりと生まれてくるかどうかは
その頃の小学生だった私たちにはわからなかった。
ただいつも入院している母が、いつ帰ってくるんだろうと、妹とずっと待ってた。
ある日、急に母は帰ってきたけども、小さい木の箱が一緒に持ち帰られて
そこにだいちゃんが寝てた。

期待とか、不安とか一切飛ばされて、テストの結果だけ誰にも知らせずにこっそりもってきた
そんな感じだった。
その小さな箱の前で、母の体が出産に耐えられなかったことを
教えてもらったのだけども、なんだか全然実感がわかず
私は困った。

ただそのあとに、この家族に、男のがいたらどんなにかよかったのだろうと
いつまでもいつまでも妹と話すたびに、
いつしかだいちゃんが実感したものになった気がする。

五体満足で生まれてくるなんて、誰が言えるだろう。
いざお腹から、出てきて母親が抱いた姿を見えるまでは
私も、本人の妹もそれを信じないだろう。

この独特の待ち時間は、非常にネガティブだけども、きっと私たちには特別。
でもそれを、世間一般では 裏感情もすべて均されて、

楽しみにしている 

というらしい。


来週はパリへ里帰り。 パリ滞在中に、出産連絡をうけるらしい。

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by inei-reisan | 2015-08-08 16:24 | ミュンヘン日常 | Trackback | Comments(1)

自分が住む国を選ぶ権利はあるが、国が私たちを選ぶ権利はない